2009/10/07

一票の格差裁判に対する最高裁判事の判断

2007年参議院議員選挙の一票の格差裁判に対する最高裁判決が9月30日に言い渡された。結論は上告棄却の合憲判決だった。忘れないうちに各裁判官ごとの判断を記録しておきたいと思う。

まずは最高裁としての判断の結論は次のようなものだ。

本件選挙までの間に本件定数配分規定を更に改正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えたものということはできず、本件選挙当時において、本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。

そしてその理由は次のように記されている。

現行の選挙制度の仕組みを大きく変更するには、(中略)相応の時間を要することは否定できないところであって、本件選挙までにそのような見直しを行うことは極めて困難であったといわざるを得ない。

要するに従来の判決と変わりない。この合憲判断に対しては5人が反対した。合憲判断を下したのは10人であり、列挙すると次のとおりである。

氏名
出身
竹崎博允
裁判官
藤田宙靖
大学教授
甲斐中辰夫 
検察官
今井功
裁判官
堀籠幸男
裁判官
古田佑紀
検察官
涌井紀夫
裁判官
櫻井龍子
行政官(労働省女性局長) 
竹内行夫
外交官(外務事務次官)
金築誠志
裁判官

なお、このうち藤田宙靖・古田佑紀・竹内行夫・金築誠志の4人は補足意見を述べている。藤田宙靖の補足意見の抜粋は次のとおり。

投票価値の平等という見地からする限り、最大較差4倍超という数字をもってなお平等が保たれているということは、本来無理な強弁というべく、それにもかかわらずこれを合憲であるというためには、それを許す合理的な理由の存在と、そ れについての立法府自らの国民に対する明確な説明、及び問題解決に向けての絶えざる真摯な努力が必要であるといわなければならない。

ただ、少なくとも本件選挙が行われた当時においては、いわゆる4増4減措置自体につき、なお、その後の本格的改正作業に向けての暫定的な措置としての位置付けを認め得るものであったこと、また、誠に遅々たる歩みであるとはいえ、参議院において、平成16年大法廷判決の趣旨等をも踏まえ選挙制度の改革に向けての前進をなお続けようとの気運が消失してしまったとまで見ることはできないこと等に鑑みるならば、参議院における上記のような検討状況についての憲法的判断は、今後の動向を注意深く見守りつつ、次回の参議院議員通常選挙の時期において改めて行うこととするのも、現時点では一つの選択肢であろうかと考える。

竹内行夫の補足意見の抜粋は次のとおり。

私は、衆議院議員の選挙においては、人口に基づいて議員定数を配分することが重視されることが当然であると考えるが、参議院も同様の厳格な人口比例原理を選出基盤とした議員により構成するとすれば、参議院は「第二衆議院」ともいうべきものとなりかねず、憲法が採用した二院制の趣旨が損なわれる結果になることを危惧する。

投票価値の平等の重 要性については今更多言を要しないが、選挙制度自体を見直すとすれば、単なる数 字上の定数配分の是正ではなく、憲法が国権の最高機関である国会につき二院制を採用している趣旨を踏まえた統治機構の在り方についての検討が求められる。それ故にこそ、参議院の在り方を踏まえた正しく高度の政治判断が必要とされるのである。

古田佑紀は竹内行夫の補足意見に同調している。

金築誠志の補足意見の抜粋は次のとおり。

結局、参議院議員の選挙においては、衆議院に比較すれば、投票価値の不平等を 緩やかに考えてよい要素はあるものの、上記のような著しい不平等の存在を長期にわたって合理化できるほどの根拠は見いだし難いといわなければならず、大幅な較差縮小のための立法措置が不可避である。

こうした制度の見直しは、二院制の下における参議院の役割、在り方を踏まえた、それにふさわしい、バランスの取れたものであることが求められるから、国会に対して、この判決の趣旨に沿った法改正の立案・審議のため、一定の時間的猶予を認めざるを得ず、本件選挙までの間に本件定数配分規定を更に改正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えたものとまでいうことはできないものであり、今直ちに違憲判断をすることは相当でない。

違憲判断を下したのは次5人。

氏名
出身
中川了滋 
弁護士 
那須弘平
弁護士
田原睦夫
弁護士
近藤崇晴
裁判官
宮川光治
弁護士

中川了滋の反対意見の抜粋は次のとおり。

投票価値の平等を憲法の要求であるとする以上、そのような較差が生ずる選挙区設定や定数配分は、投票価値の平等の重要性に照らして許されず、これを国会の裁量権の行使として合理性を有するものということはできないと解するべきである。このような較差が生じている不平等状態は違憲とされるべきものと考える。

以上によれば、本件定数配分規定は違憲であるが、国会による真摯かつ速やかな是正を期待し、事情判決の法理に従い本件選挙を違法と宣言するにとどめ、無効とはしないものとするのが相当である。

那須弘平の反対意見の抜粋は次のとおり。

本件選挙については、本件改正が平成18年大法廷判決における上記判断に織り込み済みであって再度評価の材料とすることは相当でなく、他に、国会の審議に見るべき進展があったとか、進展に向けた真摯な努力が重ねられたという形跡も見受けられない。

してみると、本件選挙については、適切な対応がなされることなく1対2をはるかに超えて1対3に近い大幅な較差が残されたまま実施された点において、憲法の違反があったと判断せざるを得ない。

田原睦夫の反対意見の抜粋は次のとおり。

何らの合理的理由もなく4倍を超える投票価値の較差が多数の選挙区において生じるという違憲状態が長期間にわたって生じ、かつ、その解消のためには選挙制度の抜本的改正が必要であることが最高裁判所大法廷判決によって指摘されたにもかかわらず、その後10年以上かかる改正がされないままの状態の下で施行された本件選挙は、憲法に反する違法な選挙制度の下で施行されたものとして無効であるといわざるを得ない。

近藤崇晴の反対意見の抜粋は次のとおり。

前回選挙後にされたいわゆる4増4減を内容とする本件改正は、根本的な見直しには程遠い弥縫策と評するほかないものであって、平成16年大法廷判決と平成18年大法廷判決の多数意見を前提としても、本件選挙当時の本件定数配分規定を違憲とする余地は十分にあると考えられる。私は、前々回選挙についても、前回選挙についても、5倍を超える較差を生じていた当時の定数配分規定は、前記の基本的な判断枠組みの下であっても、憲法14条1項に違反していたものと考えるが、平成16年大法廷判決と平成18年大法廷判決の多数意見を前提としても、本件定数配分規定を違憲とすることが、必ずしも実質的にこれと抵触するものではないと考えるものである。

宮川光治の反対意見の抜粋は次のとおり。

私は、60余年にわたる国会の不作為を、裁量権の行使の範囲にあるものとして容認することは到底できない。

私は、本件定数配分規定は、本件選挙当時、違憲無効の状態にあり、いわゆる事情判決の法理により、原判決を変更し、上告人らの請求を棄却するが、主文において本件選挙が違法である旨を宣言すべきであると考える。そして、さらに、今後、国会が、抜本的改革に要する合理的期間経過後においても、改革しない場合は、将来提起された選挙無効請求事件において、当該選挙区選挙の結果について無効とすることがあり得ることを付言すべきものと考える。

判決文はこちら(PDFファイル)。

2009/09/15

政治家のメディア選別と取材拒否

本日9月15日(火)の朝日新聞朝刊に次のような見出しの記事が載っていた。
「マスコミ選別 選挙戦森元首相」
「地元紙以外は取材拒否」

Webには載っていないので簡単に補足すると、先の総選挙で森元首相が地元紙2紙(北国新聞と北陸中日新聞)以外の取材を拒否したことに対して、「異例の事態」の経緯と「森氏側の言い分を改めて検証」したものだ。

記事は、森元首相の「万歳」がほとんどのメディアで報道されなかったことや、森陣営が公示前から取材を拒んでいたことを伝えている。また、投開票日の前日には石川県政記者クラブに加盟する報道15社に対して「当選セレモニー」を開く旨がファックス通知されたにもかかわらず、当日になって森元首相本人の意向により一転して地元2紙以外の取材が拒否されたことも報じている。

この記事は全体を通して事実経緯を客観的に伝えるという形態をとっている。しかし、上に記したような見出しの文言や、「有権者へ説明責任」「自由な言論を否定」という識者のコメントが付されていることからしても、森元首相の態度を否定的な観点から問題提起するという意図から掲載されたことは明らかだ。

ところで、私がここで問題にしたいのは森元首相の態度ではない。当事者たるメディアの一員としての朝日新聞の態度である。

朝日新聞は石川県政記者クラブに加盟しており、加盟していないメディアの記者会見出席等を拒否している。取材対象がメディアを拒否しているのではなく、メディア自身が同業他社を拒否しているのだ。長年にわたり日常的にそのようなことをしておいて、今回たまたま取材拒否されたことを問題にするというのは、いったいどういう了見なのだろう。記者クラブ制度を廃止するか記者クラブから脱退してからこのような記事を載せるべきだ。

2009/06/26

国際結婚して海外で子を出産した方はご用心

次のような報道があった。

国籍再取得に向け訪日 日比の親持つ子供ら

結婚した日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれ、出生時に日本国籍を持ちながら、フィリピンに残され、手続きの問題で日本国籍を喪失した子供5人が25日、国籍再取得のため母とともにマニラから訪日した。子供たちは京都府内の学校に通いながら国籍再取得を申請、母は身元引受先の介護施設で働き、養育を続ける。

問題の背景は次の点にある。

結婚した日本人と外国人の子供は、出生と同時に日本国籍を取得。ただし、外国で生まれ、日本国籍と同時に外国籍も取得した場合、出生から3カ月以内に日本国籍留保の届け出を現地大使館などにしなければ、日本国籍を喪失する。

この国籍留保の届出は出生の届出と同時にしなければならないとされている(戸籍法104条2項)。つまり、出生届のときに国籍留保の届出をしなかった場合は、最初から日本国籍を持たなかったことになってしまう。

これに関し、実務上は次のように考えられているようだ。

戸籍法は国籍留保届を特別に設けておらず、出生届の「その他」の欄に「日本国籍を留保する」旨記載することによって行われている。国籍留保の意思表示をしなければ日本国籍を喪失するこの出生届は、国籍留保の意思表示の届出とともにしなければ、受理すべきではないと解されている。国籍留保の意志が明示されていない出生届を誤って受理した場合には、通常は国籍留保の意志があると解されているので、出生届が期間内になされている限り、その後に国籍留保の追完的届出があれば有効として扱われている(昭和35年6月20日民事甲第1495号民事局回答)。

木棚照一『逐条註解国籍法』(日本加除出版、2003年)
(太字は引用者)

報道の事例で役所(領事館)の係の対応がどうだったのかは分からないが、気の効いた対応がなされていればこの問題は防げた可能性がある。いずれにしろ、国際結婚して海外で子を出産した人は、子の国籍の問題を気にかけておく方がよい。

2009/05/14

障害者、障碍者、障がい者

朝日新聞に次のような記事が載っていた。

「鷹」「碍」など追加して…新常用漢字試案へ一般意見

「新常用漢字表(仮称)」に関する試案に対して一般から寄せられた意見の内容が、13日の文化審議会国語分科会の漢字小委員会で報告された。追加してほしいという意見があった字種は計302字。中でも東京都三鷹市などが要望する「鷹(たか)」と、「障害者」に代わって「障碍(がい)者」と表記できるように採用を求める「碍」の2字が際だって多かった。

「碍」の追加希望は20件。「障害」は戦前は「障碍」などと書いたが、「碍」が当用漢字にならなかった戦後、「障害」への書きかえが定着した。しかし近年、「害」は負のイメージが強いとして、行政文書などで「障がい」と表記する自治体が相次いでいる。今回、まぜ書きは不自然で読みづらいので、本来の「碍」を使えるようにすべきだという意見がみられた。

文化審はこうした意見を参考に試案を再検討し、今秋には修正案を公表して意見を再び募る。新常用漢字表は10年秋の内閣告示をめざす。

「障害者」を「障がい者」と表記することには否定的な意見を持っている。理由は次のとおり。
  1. 漢字で書こうがひらがなで書こうが「ガイ」であることに変わりはない。「害」を「がい」と書いても「ガイ」でなくなるわけではない。
  2. 「障害者」を「障がい者」と表記することによって障害者差別がなくなるかというと、そんなことはない。むしろ、「障害者」を「障がい者」と表記すれば障害者差別がなくなるかのごとき幻想を抱かせる点で有害である。
  3. 漢字かな混在は読みにくいし見苦しい。
朝日新聞の記事を見て「障害」の元の表記を確かめたくなり、『新字源』を引いてみた。

【障害】【障碍】【障礙】しょう(しやう)がい
(障害は障礙の書きかえ)さわり。じゃま。さまたげ。碍は、礙の俗字。

そうすると、「碍」ではなく「礙」を常用漢字に入れてもらう方がよいのではないか。というか、より根本的な問題に気がついた。すなわち、この漢字は使ってもよいとか、この漢字は使ってはならないとかを役所が決めること自体まちがっている。我々がどのような漢字を使うかは我々が自主的に決めればよいのであり、役所に指図される筋合いはない

NHKニュースの違和感

いつからなのか分からないが、NHKのニュースを見るたびに違和感を覚えるようになっていた。特定のニュースに関してではなく、番組の冒頭を見るたびに何か妙だと感じていた。この違和感の正体を次の記事が教えてくれた。

NHKニュースの変身-JanJanニュース
10年以上前に月刊誌に載っていたものですが、新聞のトップ記事の見出し文字の大きさと新聞の信頼度の関係を調べた小論がありました。それによると主要紙のなかで見出しにもっとも大きな文字を使っているのはスポーツ紙で、もっとも小さい文字は日経新聞でした。
その小論の結論は文字が大きい新聞ほど信頼度が低い傾向が見られるというものでした。ル・モンドなど海外のクォリティペーパーと呼ばれる新聞の文字も小さく、この傾向を裏付けるものとされていました。大きい文字を使う新聞ほどセンセーショナルな傾向をもつことは十分考えられることであり、信頼度と逆の関係になることは納得がいきます。
NHKニュースにセンセーショナリズムへの傾斜が目につくようになったのはここ数年来のことです。夜7時のNHKニュースはひとつの注目ニュースに集中する傾向を強く感じます。7時の定時ニュースでありながらワイドショーと変わらない一点集中の報道が中心になっています。
一言でいうとNHKニュースがスポーツ新聞化またはワイドショー化したということであり、大変得心のいく説明だった。

2009/05/11

「おてかず」?

ある場面で「おてかずですが…」という言葉を聞いた。一瞬なんのことだろうかと思ったが「お手数」のことだとすぐに気付いた。「お手数」は「おてすう」と読むものだとばかり思っていたので軽い驚きを感じたが、考えてみれば「手数」を「てかず」と読むことに何の不思議もない。

しかし、帰宅してからも「おてかず」という読み方がどうにも気になって頭から離れないので辞書で調べてみた。

大辞林』より。
て すう【手数】
  1. それをするのに必要な動作・細工などの数。また、それが多くて面倒なこと。てかず。「—ばかりかかる仕事」
  2. (「お手数をかけます」などの形で)自分のために労力を尽くしてくれた相手に対して感謝する気持ちを表す。「お手数をかけてすみません」
    〔「お手数ですが」の形で、相手に何らかの依頼を願い出る場合にも用いる。「お—ですが、書類の件よろしくお願いいたします」〕

て かず【手数】
  1. ある事をするための労力。手間。てすう。「—のかからない仕事」
  2. 碁・将棋などの手の数。てすう。「—が少ない」
  3. ボクシングで手を出す回数。
大辞林』によると「おてすう」と読むのが適当だということになりそうだ。

一方『大辞泉』だと次のようになる。
て‐すう【手数】
  1. それをするのに要する動作•作業などの数。てかず。「—のかかる料理」
  2. 他人のためにことさらにかける手間。てかず。「お—でもよろしく」「お—をかけて恐縮です」
→手数(てかず)・手間・造作

て‐かず【手数】
  1. 「てすう(手数)1.」に同じ。「—をかけた料理」
  2. 「てすう(手数)2.」に同じ。「お—ですが、よろしくお願いします」
  3. 囲碁・将棋などで、ある手段を施すのに必要な着手の数。また攻め合いで、石を打ち上げるために詰めなければならない駄目の数。「—を読む」「白のほうが—が長い」
  4. ボクシングで、パンチを出す度数。「—は多いが有効打が少ない」
→手数(てすう)・手間・造作・世話
大辞泉』では「おてすう」と「おてかず」を特に区別していない。

NHKのことばおじさんは次のように解説している。
では、『お手数をおかけしました』これは、何と読みますか?
「おてすう」?それとも「おてかず」? 実は本来の読み方は「おてかず」で、昭和に入ってから「おてすう」と読む人が多くなったようです。今では「おてすう」が多数ですよね。

本来は「おてかず」と読むことについての背景が記されていないのが残念である。なお、古語辞典にもあたってみたが「てすう」も「てかず」も載っていなかった。

ともあれ、これで1勝1敗1分け(?)となり、どう読んだらよいのか結局よくわからない。ここで強引に私なりの読み方を決めてしまいたいと思う。

「お手数」は「おてかず」と読むことにする。理由は「おてすう」だと湯桶読みになってしまうから。

追記(2009/05/12)

もう少し調べてみた。『明鏡国語辞典』では次のように定められている。
て-すう【手数】
  1. 動作・作業などにかかる労力(の度合い)。てかず。「報告書作成の—を省いて口頭で説明する」「—のかかる仕事」「—料」
  2. 《「お—をかける」「お—です」などの形で》相手に協力を依頼するときやそれに感謝するときに、ねぎらいの気持ちでいいうことば。「お—をかけてすみません」「お—ですが手伝っていただけませんか」

て-かず【てかず】
  1. てすう。「お—をかけて恐縮です」
  2. 囲碁・将棋で、打つ手または指す手の数。
  3. ボクシングで、パンチを出す回数。

類語辞典の『類語国語辞典』だとこうなる。
【手数(てすう)】
—の いらない仕事。—料を取る ○手間が掛かること。面倒なこと。

【手数(てかず)】
お—を掛けます。いいえ、大した—は掛かりません ○面倒なこと。「てすう」とも

この『類語国語辞典』は昭和60年初版発行のものだ。

家にあった古い『広辞苑』(第2版補訂版、昭和51年第1刷発行)も引いてみた。
て-かず【手数】
  1. それに施すべき手段の数。てすう。
  2. その物事または他人のために特に力を尽くすこと。骨折り。めんどう。「お—をかけます」

て-すう【手数】
「てかず」に同じ。
こうしてみると、ことばおじさんの「実は本来の読み方は『おてかず』で、昭和に入ってから「おてすう」と読む人が多くなったようです」という解説はどうも当たっているようだ。

というわけで(?)、私は「お手数」は「おてかず」と読むことにした。ちなみに、辞書は少し古い方がよいかもしれないという点も勉強になった。

2009/05/05

菖蒲湯


5月5日の端午の節句。風呂に菖蒲を入れた。

大辞泉で「菖蒲湯」を引いてみた。
しょうぶ‐ゆ【菖蒲湯】シヤウブ‐
5月5日の節句の日、邪気を払うために、ショウブの根や葉を入れて沸かす風呂。《季 夏》「—を出てかんばしき女かな/草城」
子供の健康を願う意味かと思っていたが、そうではなく、邪気を払うためだそうだ。

2009/05/01

「フェーズ」?

豚インフルエンザの警戒水準が「フェーズ4」から「フェーズ5」へ引き上げられたそうだ。「フェーズ5」とは世界的大流行(パンデミック)の一歩手前を意味するという。ところでこの「フェーズ」という言葉が翻訳されずにカタカナにするだけでそのまま使われているのは一体なぜか。

私は以前システム開発の仕事をしていたので「フェーズ」という言葉に違和感を感じることはない。「フェーズ5」の「フェーズ」もシステム開発でいう「フェーズ」とほぼ同じ意味で用いられているようで、意味はわかる。辞書で「phase」を引くと天文や化学・物理の分野でも使われる用語のようだ。しかし日本語の「フェーズ」は一般的に使われる言葉ではない。私もシステム開発の現場以外で「フェーズ」という言葉を口にしたり耳にしたりした記憶はない。

どうしても日本語にできないのならともかく、「段階」や「局面」という日本語で言い表せるのだから、「フェーズ」という馴染みのないカタカナをあえて使うのが理解できない。仮に「phase」という単語をうまく言い表せる日本語が見当らなかったとしても、そこをなんとかわかりやすい言葉で伝えるのがマスコミの仕事ではないだろうか。

2009/04/29

丹波自然運動公園

丹波自然運動公園に来ている。気持ちよく遊べるところで、子供を連れてくるにはもってこいだ。

iPhoneからBloggerへメールで投稿してみた

iPhone標準のメールアプリから写真つきで投稿してみた。