2009/05/14

障害者、障碍者、障がい者

朝日新聞に次のような記事が載っていた。

「鷹」「碍」など追加して…新常用漢字試案へ一般意見

「新常用漢字表(仮称)」に関する試案に対して一般から寄せられた意見の内容が、13日の文化審議会国語分科会の漢字小委員会で報告された。追加してほしいという意見があった字種は計302字。中でも東京都三鷹市などが要望する「鷹(たか)」と、「障害者」に代わって「障碍(がい)者」と表記できるように採用を求める「碍」の2字が際だって多かった。

「碍」の追加希望は20件。「障害」は戦前は「障碍」などと書いたが、「碍」が当用漢字にならなかった戦後、「障害」への書きかえが定着した。しかし近年、「害」は負のイメージが強いとして、行政文書などで「障がい」と表記する自治体が相次いでいる。今回、まぜ書きは不自然で読みづらいので、本来の「碍」を使えるようにすべきだという意見がみられた。

文化審はこうした意見を参考に試案を再検討し、今秋には修正案を公表して意見を再び募る。新常用漢字表は10年秋の内閣告示をめざす。

「障害者」を「障がい者」と表記することには否定的な意見を持っている。理由は次のとおり。
  1. 漢字で書こうがひらがなで書こうが「ガイ」であることに変わりはない。「害」を「がい」と書いても「ガイ」でなくなるわけではない。
  2. 「障害者」を「障がい者」と表記することによって障害者差別がなくなるかというと、そんなことはない。むしろ、「障害者」を「障がい者」と表記すれば障害者差別がなくなるかのごとき幻想を抱かせる点で有害である。
  3. 漢字かな混在は読みにくいし見苦しい。
朝日新聞の記事を見て「障害」の元の表記を確かめたくなり、『新字源』を引いてみた。

【障害】【障碍】【障礙】しょう(しやう)がい
(障害は障礙の書きかえ)さわり。じゃま。さまたげ。碍は、礙の俗字。

そうすると、「碍」ではなく「礙」を常用漢字に入れてもらう方がよいのではないか。というか、より根本的な問題に気がついた。すなわち、この漢字は使ってもよいとか、この漢字は使ってはならないとかを役所が決めること自体まちがっている。我々がどのような漢字を使うかは我々が自主的に決めればよいのであり、役所に指図される筋合いはない

NHKニュースの違和感

いつからなのか分からないが、NHKのニュースを見るたびに違和感を覚えるようになっていた。特定のニュースに関してではなく、番組の冒頭を見るたびに何か妙だと感じていた。この違和感の正体を次の記事が教えてくれた。

NHKニュースの変身-JanJanニュース
10年以上前に月刊誌に載っていたものですが、新聞のトップ記事の見出し文字の大きさと新聞の信頼度の関係を調べた小論がありました。それによると主要紙のなかで見出しにもっとも大きな文字を使っているのはスポーツ紙で、もっとも小さい文字は日経新聞でした。
その小論の結論は文字が大きい新聞ほど信頼度が低い傾向が見られるというものでした。ル・モンドなど海外のクォリティペーパーと呼ばれる新聞の文字も小さく、この傾向を裏付けるものとされていました。大きい文字を使う新聞ほどセンセーショナルな傾向をもつことは十分考えられることであり、信頼度と逆の関係になることは納得がいきます。
NHKニュースにセンセーショナリズムへの傾斜が目につくようになったのはここ数年来のことです。夜7時のNHKニュースはひとつの注目ニュースに集中する傾向を強く感じます。7時の定時ニュースでありながらワイドショーと変わらない一点集中の報道が中心になっています。
一言でいうとNHKニュースがスポーツ新聞化またはワイドショー化したということであり、大変得心のいく説明だった。

2009/05/11

「おてかず」?

ある場面で「おてかずですが…」という言葉を聞いた。一瞬なんのことだろうかと思ったが「お手数」のことだとすぐに気付いた。「お手数」は「おてすう」と読むものだとばかり思っていたので軽い驚きを感じたが、考えてみれば「手数」を「てかず」と読むことに何の不思議もない。

しかし、帰宅してからも「おてかず」という読み方がどうにも気になって頭から離れないので辞書で調べてみた。

大辞林』より。
て すう【手数】
  1. それをするのに必要な動作・細工などの数。また、それが多くて面倒なこと。てかず。「—ばかりかかる仕事」
  2. (「お手数をかけます」などの形で)自分のために労力を尽くしてくれた相手に対して感謝する気持ちを表す。「お手数をかけてすみません」
    〔「お手数ですが」の形で、相手に何らかの依頼を願い出る場合にも用いる。「お—ですが、書類の件よろしくお願いいたします」〕

て かず【手数】
  1. ある事をするための労力。手間。てすう。「—のかからない仕事」
  2. 碁・将棋などの手の数。てすう。「—が少ない」
  3. ボクシングで手を出す回数。
大辞林』によると「おてすう」と読むのが適当だということになりそうだ。

一方『大辞泉』だと次のようになる。
て‐すう【手数】
  1. それをするのに要する動作•作業などの数。てかず。「—のかかる料理」
  2. 他人のためにことさらにかける手間。てかず。「お—でもよろしく」「お—をかけて恐縮です」
→手数(てかず)・手間・造作

て‐かず【手数】
  1. 「てすう(手数)1.」に同じ。「—をかけた料理」
  2. 「てすう(手数)2.」に同じ。「お—ですが、よろしくお願いします」
  3. 囲碁・将棋などで、ある手段を施すのに必要な着手の数。また攻め合いで、石を打ち上げるために詰めなければならない駄目の数。「—を読む」「白のほうが—が長い」
  4. ボクシングで、パンチを出す度数。「—は多いが有効打が少ない」
→手数(てすう)・手間・造作・世話
大辞泉』では「おてすう」と「おてかず」を特に区別していない。

NHKのことばおじさんは次のように解説している。
では、『お手数をおかけしました』これは、何と読みますか?
「おてすう」?それとも「おてかず」? 実は本来の読み方は「おてかず」で、昭和に入ってから「おてすう」と読む人が多くなったようです。今では「おてすう」が多数ですよね。

本来は「おてかず」と読むことについての背景が記されていないのが残念である。なお、古語辞典にもあたってみたが「てすう」も「てかず」も載っていなかった。

ともあれ、これで1勝1敗1分け(?)となり、どう読んだらよいのか結局よくわからない。ここで強引に私なりの読み方を決めてしまいたいと思う。

「お手数」は「おてかず」と読むことにする。理由は「おてすう」だと湯桶読みになってしまうから。

追記(2009/05/12)

もう少し調べてみた。『明鏡国語辞典』では次のように定められている。
て-すう【手数】
  1. 動作・作業などにかかる労力(の度合い)。てかず。「報告書作成の—を省いて口頭で説明する」「—のかかる仕事」「—料」
  2. 《「お—をかける」「お—です」などの形で》相手に協力を依頼するときやそれに感謝するときに、ねぎらいの気持ちでいいうことば。「お—をかけてすみません」「お—ですが手伝っていただけませんか」

て-かず【てかず】
  1. てすう。「お—をかけて恐縮です」
  2. 囲碁・将棋で、打つ手または指す手の数。
  3. ボクシングで、パンチを出す回数。

類語辞典の『類語国語辞典』だとこうなる。
【手数(てすう)】
—の いらない仕事。—料を取る ○手間が掛かること。面倒なこと。

【手数(てかず)】
お—を掛けます。いいえ、大した—は掛かりません ○面倒なこと。「てすう」とも

この『類語国語辞典』は昭和60年初版発行のものだ。

家にあった古い『広辞苑』(第2版補訂版、昭和51年第1刷発行)も引いてみた。
て-かず【手数】
  1. それに施すべき手段の数。てすう。
  2. その物事または他人のために特に力を尽くすこと。骨折り。めんどう。「お—をかけます」

て-すう【手数】
「てかず」に同じ。
こうしてみると、ことばおじさんの「実は本来の読み方は『おてかず』で、昭和に入ってから「おてすう」と読む人が多くなったようです」という解説はどうも当たっているようだ。

というわけで(?)、私は「お手数」は「おてかず」と読むことにした。ちなみに、辞書は少し古い方がよいかもしれないという点も勉強になった。

2009/05/05

菖蒲湯


5月5日の端午の節句。風呂に菖蒲を入れた。

大辞泉で「菖蒲湯」を引いてみた。
しょうぶ‐ゆ【菖蒲湯】シヤウブ‐
5月5日の節句の日、邪気を払うために、ショウブの根や葉を入れて沸かす風呂。《季 夏》「—を出てかんばしき女かな/草城」
子供の健康を願う意味かと思っていたが、そうではなく、邪気を払うためだそうだ。

2009/05/01

「フェーズ」?

豚インフルエンザの警戒水準が「フェーズ4」から「フェーズ5」へ引き上げられたそうだ。「フェーズ5」とは世界的大流行(パンデミック)の一歩手前を意味するという。ところでこの「フェーズ」という言葉が翻訳されずにカタカナにするだけでそのまま使われているのは一体なぜか。

私は以前システム開発の仕事をしていたので「フェーズ」という言葉に違和感を感じることはない。「フェーズ5」の「フェーズ」もシステム開発でいう「フェーズ」とほぼ同じ意味で用いられているようで、意味はわかる。辞書で「phase」を引くと天文や化学・物理の分野でも使われる用語のようだ。しかし日本語の「フェーズ」は一般的に使われる言葉ではない。私もシステム開発の現場以外で「フェーズ」という言葉を口にしたり耳にしたりした記憶はない。

どうしても日本語にできないのならともかく、「段階」や「局面」という日本語で言い表せるのだから、「フェーズ」という馴染みのないカタカナをあえて使うのが理解できない。仮に「phase」という単語をうまく言い表せる日本語が見当らなかったとしても、そこをなんとかわかりやすい言葉で伝えるのがマスコミの仕事ではないだろうか。